垂直都市に降る雨

東大院卒が綴る思索の影_記事の内容は全て個人の意見です。

「間違った事を発言すること」と社会キャパシティ:2

私流コミュニケーション論、第二編です。
今回は前回考えた話である「何も知らない者が何も知らない事に意見を言う」という頭悪い事態は何故発生してしまうのだろう?という事について、例えば現代人がみんな口をそろえてヒトラーを批判する例から考えてみたいと思います。

「間違った事を発言すること」と社会キャパシティ:1

新年早々の落合先生の炎上っぷりを見ていると、議論の中身よりもコミュニケーションの面白さに目が行きました。今回は新年早々バチクソにガチンコの私流コミュニケーション論、やります(案の定クソ長いのでまた幾つかに分割してお届けします)。
(肝心の落合先生の議論の中身については的を射てない批判が多いのでもう少しネット上の論争が整理されてからの方が良いような気がします)
 
ネット上で自分なりに何らかの意見を発信しようとすると誰しもがぶち当たる壁として、
「自分は全てを知ってるわけじゃない」
という、どうしようもない問題があります。
 
今回は「自分は何にも知らない」という厳然たる事実と、「それでも意見発信する」ということ、そしてそれが「間違った意見」だった場合について。何編かに分けて書いてみたいと思います。
第一編は「何も知らない」という前提条件についての考え方と、同じく何も知らない人間による、謂わば「映画監督ではない奴の映画批評」をどう理解するかについて。
 

オタクっぽくないアニソン・第一集

カラオケでアニソンを歌いたいんですよ。
アニメオタクならアニソンの一つぐらい歌ったって良いでしょう?

けれども死ぬほど生きづらい日本社会、オタクとは徐々に差別用語となり、オタクに人権はないと言わんばかりにオタク迫害的な言説が広がっています。もうアニメオタクはカラオケでアニソンを歌ってはいけないのか…!

そんな時に歌える曲は、あります。
勿論普通のアニソンを歌うのとは難易度が全く違う曲ばっかりですけど、意識高い系やスカしてる系の大好きなあんなアーティストやこんなアーティストもアニソンとして楽曲を提供する時代になってきたので、実際色んな曲が有ります。

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