垂直都市に降る雨

東大院卒が綴る思索の影_記事の内容は全て個人の意見です。

転職リアリズム1. 現実感のありか

転職して5ヶ月が経過しました。そろそろ良いでしょう。
 
転職したら「それによって変わった事」をブログに書きます、と色んな人に約束しました。
結論から言えば私の場合最も顕著に変わったのは「現実感のありか」でした。
 
ここから何稿かに分けて「転職」によって何が変わったのか、仕事における現実感とは何なのかについて少し掘り下げて考えてみたいと思います。
転職しようかどうか迷っている人に向けて、更に迷わせるために書く記事です。
 

「間違った事を発言すること」と社会キャパシティ:3

コミュニケーション論第三弾、今回以降やっと本題に入って「間違った意見に対してどう反応するか」という事についてです。Twitter上で私が自分で体験したり、落合陽一先生を猛然非難しまくる論者を観察して考える事になります。
 

「間違った事を発言すること」と社会キャパシティ:2

私流コミュニケーション論、第二編です。
今回は前回考えた話である「何も知らない者が何も知らない事に意見を言う」という頭悪い事態は何故発生してしまうのだろう?という事について、例えば現代人がみんな口をそろえてヒトラーを批判する例から考えてみたいと思います。

「間違った事を発言すること」と社会キャパシティ:1

新年早々の落合先生の炎上っぷりを見ていると、議論の中身よりもコミュニケーションの面白さに目が行きました。今回は新年早々バチクソにガチンコの私流コミュニケーション論、やります(案の定クソ長いのでまた幾つかに分割してお届けします)。
(肝心の落合先生の議論の中身については的を射てない批判が多いのでもう少しネット上の論争が整理されてからの方が良いような気がします)
 
ネット上で自分なりに何らかの意見を発信しようとすると誰しもがぶち当たる壁として、
「自分は全てを知ってるわけじゃない」
という、どうしようもない問題があります。
 
今回は「自分は何にも知らない」という厳然たる事実と、「それでも意見発信する」ということ、そしてそれが「間違った意見」だった場合について。何編かに分けて書いてみたいと思います。
第一編は「何も知らない」という前提条件についての考え方と、同じく何も知らない人間による、謂わば「映画監督ではない奴の映画批評」をどう理解するかについて。
 

ぜいたくの意味論

私も人間なので、欲望というものがあります。
よりおいしいものが食べたい、より広い家に住みたい、よりたくさん本が読みたい、よりのんびり生きていきたい。…まあつまるところ、より良い生を送りたくて仕方がないわけです。
特に今現在のようにブラック的労働環境(本物のブラックではない)に放り込まれていると、精神的な貧困感がすごいヤバいです。何をしていても満たされないような感覚が常にあって、必死になって何かに取り組もうとしても全然捗らないし何をしているのかもよくわからない。
そういう時にぼんやりとネットを見ていると、色々なものが目に付きます。そこから考える事です。
 
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