垂直都市に降る雨

東大院卒が綴る思索の影_記事の内容は全て個人の意見です。

意識は低く広く、流れるように:第二夜

私が何を考えて物事を見ているのかについて。2018年版続きです。

色々な物に興味を持ち続けるというのは、簡単なことにみえてとても難しい事です。それはこの日本社会においては「一つの物に取り組む」という事が社会的に推奨され、「複数の物事にたくさん取り組んでみる」という事は「中途半端」とされるからです。
しかしそれができなければ、その人の視野は際限なく狭まって行って、やがては潰しが効かなくなって世界の変化に対応できなくなってゆく事は前夜に述べました。

ここではそんな「視野を広げることの大切さ」を述べたいと思います。

※文章は全部最後まで出来上がってるので、後はイラストや図を追加するだけで投稿できるんですけど、ちょっと今週はまたパワハラ環境でシバかれすぎて急性ストレス障害みたいな症状をずっと発症していたので全面的に遅れました。パワハラブラック大地獄。

 

 

意識は「広く」、興味を掘り起こすこと
繰り返しになりますが、視点が狭い努力は根本的に無駄です。
もしも時代がそんなに大きく変わらないのだったら一つの事に打ち込んで40年とか50年とかいう時間を過ごしてその道の神様みたいな存在になるのは十分に戦略としてアリだったと思います。しかし今は正直5年後の事すら予測が付かない時代です。もしかしたらAI関連の技術で大きなブレイクスルーが起きて人間の労働を予想よりも遥かに早い時点で代替できるようになってしまうのかもしれないし、またはその逆に全然AI技術が進歩しなくなって技術的停滞の中で少子高齢化が進むのを待つだけになってしまうのかもしれません。或いは全く別の分野、バイオ技術とか通信工学などで劇的な変革が発生して、それによって社会が変わるのかもしれません。いずれにしても予測は付きません。
そういう条件で一つの物事だけに徹底的に打ち込んで40年も経過すれば、40年後には自分の技術よりも遥かに上手にAIが自分の仕事を実行して、自分の食い扶持を完全に掻っ攫って行ったような場合に完全に打つ手が無くなってしまいます。今は残念ながらかつてのように「一つの事だけを無限追求する」という事が許される時代ではないと私は思っています。

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(3:10あたりからの映像は必見です。庭師がやってるような技能を機械化するとこうなる)
だから、意識は常に広く持っておくべきです。自分の取り組んでいる物事の隣接分野には何があって、他に自分が興味を持っている世界にはどういうものがあるのか?その分野で著名な人は何をしているのか?そういう事を常にアンテナを張って観測しておきましょう。人には仕事や休息の時間が必要ですから、実際にその分野に取り組んでみるのが多少遅れる事は仕方がありません。しかし事前に状況を調べるだけ調べてから取り組むことと、何の前情報もなしにいきなり取り組むことでは雲泥の差があります。

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また意識を広く持っておくことには別の利点もあります。それは「自分の中に眠っていた興味関心を呼び覚ますこと」です。
人は小さい頃には色々な物に興味を持っていたと思います。しかし多くの場合成長の過程で人の興味関心は移り変わって行き、古い興味関心は新しい興味関心によって上書きされてしまうものです。そうして興味関心とは地層のように積み重なって行くもので、複数の地層によって支えられた地盤の上に現在の自分が立っているわけです。

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ここで重要なのは、大概の場合人間が仕事にしていることって、大学での興味関心に沿ったことのみに根を張っている場合が殆どだという事です。だからこそ、もしも大学で何に対しても興味関心が持てなかったような場合には、現在の自分にはやりたいことが無いという状態になってるかもしれません。でもそんな時こそ意識を広く持っておくことが重要です。小さい頃に興味関心を持っていたような分野に関する情報が突然目の前に現れた時意識を広く持っている事ができれば、それは色鮮やかな記憶を再生して古い地層として眠り込んでいる興味関心を復活させてくれることがあります。
 
ちょっと特殊な例ですが、私の話をします。
私が一番最初に興味を持ったのは「クルマ屋さん」でした。工学技術の結晶たるクルマを設計開発・製造し、それを色々な人に販売して流通させるという、上流から下流までのワンセットとしての製造販売に興味を持っていたのです。

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しかしその後小学校に上がり私の興味関心は「言葉」に移っていきました。ガリガリと鉛筆を何本も使い潰して文章を書きながら自分の頭の中にあったもやもやとしたものが実体を持ってこの世に現れてくる感覚が大好きで、今でもずっと文章を書き続けるような習慣が身に付きました。

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そこから中学以降で「哲学」倫理学に興味を持ちました。「生きている意味ってなんだろう?」「何故動物は殺しても良くて人は殺してはいけないの?」…私の考えていたような問題に論理的能力によって回答を付けていた人々がいて、本を読むことで色々な人の回答を取り込むことができると思いました。大学時代にこの興味は再燃し、本格的に倫理学を勉強するきっかけになりました。

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しかし親の財布から一万円札をこっそり抜き取っては書店で新刊本を山積みにして買ってくるなんていう半ば以上非行少年みたいなことをしていた私は直ぐに本を巡って親と対立するようになりました。そうして本を読む事(買う事)が面倒になって、最後の方で出会った冲方丁先生の「マルドゥック・スクランブル」と「オイレンシュピーゲル」が私の人生を大幅に変えました。

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全身を機械化した少女たちが自らの信じる世界のために闘う姿。私はすっかりそういった世界観に惚れ込んでサイバネティクス「化学」を志す事にしました。結局本なんか幾ら読んだところで色んな人に怒られるばかりで世界を変えられっこないわけで、だったらちゃんと世界に影響力を及ぼせる学問をやろうと考えたわけです。私がサイバネティクスを志向したのは上述のような世界観に感化され「人間の世界を少しでもマトモな場所にするためには人間それ自体を変えるよりほかない」と考えたから、また化学を志向したのは「理系の学問の中で一番おもしろいから」でした。私のやりたいことは結局最終的には東大で染谷隆夫先生がやっらっしゃる「染谷式生体調和型エレクトロニクス」や、竹内昌次先生のやってらっしゃる「生体内埋め込みデバイスのような技術だったわけですが、この時はそんな研究室が存在している事など知りもしませんでした。

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そうして大学で化学をやっている内に「生化学・バイオ」の面白さにメチャメチャのめり込んでいきました。人間の身体という複雑系の中では多くの因子が精妙に絡み合って複数の化学反応が同時並行的に進行してゆきます。また酵素反応やタンパク質などの巨大高分子による化学反応には低分子の化学では見られないようなダイナミックで複雑な反応進行システムが存在しています。これはさながら私たちの社会のような複雑で巨大なシステムが人間の体の中でも駆動しているかのような話です。教科書を独学で読み倒し、最終的にはバイオ系として東大大学院まで行きました。

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そうして頑張ったけど就活の大失敗を経て、今現在はまた三つ前の地層である「言葉」に魅力を感じています。言葉を書き綴るという事の面白さが日に日に高まっていて、理系の空を旅して墜落した今またもう一度文系の世界に目を向けてみても面白いんじゃないかという気持ちが大きくなってきています。
…とまあ従って、私の興味関心の地層は次のようになっています。

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こうして私は「元々文系なのに理系で突っ走って最先端を自分の目で見てきたヤバい人」という奇妙奇天烈な経歴を獲得するに至りました。
 
…ま、私は少々奇妙な例ですが、このようにして人は地層のように折り重なった興味関心を掘り起こす事で、自ずから広い視野を獲得する事ができます。獲得した視野の広さはそのままその人の知識の広さ、思考の広さとなってその人の人生そのものを拡張する働きをしてくれます。

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⇒第三夜は「意識を流れるように持つことの大切さ」
To be continued...