垂直都市に降る雨

東大院卒が綴る思索の影_記事の内容は全て個人の意見です。

転職リアリズム1. 現実感のありか

転職して5ヶ月が経過しました。そろそろ良いでしょう。
 
転職したら「それによって変わった事」をブログに書きます、と色んな人に約束しました。
結論から言えば私の場合最も顕著に変わったのは「現実感のありか」でした。
 
ここから何稿かに分けて「転職」によって何が変わったのか、仕事における現実感とは何なのかについて少し掘り下げて考えてみたいと思います。
転職しようかどうか迷っている人に向けて、更に迷わせるために書く記事です。
 
 
 

自分は何によって給料をもらっているのか

基本的に会社員は自分が何によって給料をもらっているのか、あまり理解していない場合が大半であると思います。斯く言う私も今現在自分がどういう理屈で給料をもらっているのか、その全てを理解できているわけではありません。
私たちは基本的に、どこから出てくるのか分からない「価値」というもので飯を食っています。それが何によって担保されているのかというのは経済哲学の話になるのでまた今度にしときますが、とにかく私たちが預金口座を覗いた時に出て来る数字がどこからやってきたのかは基本的に不明です。そこで「仕事してるんだから給料貰うのは当然だろ」と言えてしまうなら、それだけ幸せな職場に居るという事なので転職しないほうが良いです。
 
私の場合には「お金を貰う」という事が「仕事」の第一義でした。何か意味のある事をしてお金を貰うという事が労働であると考えています。であるからには、自分のどの仕事が買われて給料を貰っているのか、どの能力が買われてお金に繋がっているのかが知りたいという欲求があります。
大学院を出て初めて入った会社では、色々な仕事を経験させてもらいました。その中で私自身、どういう事をやったら会社の役に立てるのか模索し続けていました。どういうやり方をすれば誰の役に立つのか、或いは自分のスキルアップにつながるのか、それをとにかく何パターンも考え続けていた時間として最初の会社がありました。
 
その問いかけに対して自分なりに何らかの答えが付けられれば転職などせずに済んだのですが、最終的に自分で考えた全ての答えが間違っていたという事が分かりました。私は正直に告白すれば、誰の役にも立たず誰の助けにもならない事で給料を貰い続けていただけでした。その事が分かった瞬間から私は会社を辞める事を考え始め、そうして転職への道を突き進んで行く事になりました。東大院卒などという馬鹿みたいな看板をぶら下げておきながら、私が自分の考えに基づいて実行していた仕事はその大半が会社から見れば役に立ちもしないジャンクワークだった訳です。絶望しました。
何故自分は、自分の力では何のお役にも立てない会社に新卒として入ったのか。今から分析すればそこには色々な理由が有った事が分かりますが、当時の状況を振り返るなら「切羽詰まっていたから」の一言で終わってしまうのかもしれません。ボコボコにコミュ障である私にとって就活は鬼門以外の何物でもなく、自分の研究や知識をアピールするという事も殆どできないままストレスで体調を崩し、就活シーズンの旬を逃しました。他の東大生たちが次から次へと巨大企業や名門企業からの内定を勝ち取ってゆく中で、自分だけが取り残されて行くという焦燥感は何にも増して辛かったのをよく覚えています。
 
だから転職市場に最初に乗り出した時は、何もかもが不安でした。
きっと就活時代と同じく地獄のような冷たい言葉を投げつけられて爆死するに違いない、そう思っていましたが、ちょっと違っていました。
転職市場では就活とは違った観点で人材は評価されます。より露骨に「何の役に立つのか」が直視される事になります。多くの場合この部分が苦手意識の源泉となって転職活動は思うように進まない人が多い訳ですが、私の場合はちょっと違っていて、寧ろそうやって「有用性」を評価されるのがとても嬉しかったのです。「こういう理由でこういう仕事をしてほしいから、だから貴方は我が社に必要/不要」と明快に理由を持って判断されるという事は、その会社に入ったら自分はどういう能力でどういう仕事をする事でお給料をもらえるのか、という事が入社する前からある程度情報として提供してもらえるという事です。
 
「あなたには何の知識・経験から何の仕事をしてほしいから、だからこれだけの給料を支払います」という論拠が元からある程度正確に示されているというのは、曖昧模糊としたコミュニケーション能力なる謎のパラメータで評価される就活とは大きく異なる部分です。それで企業側の欲しい人材にマッチングすれば面接に呼んでもらえるし、内定も出ます(違ってるなら落ちます)。
それで転職すると、自分がおおよそ何を求められてその会社に採用されたのかが最初の時点で分かっているので、自分が目を向けるべき仕事の分野がどこなのかも分かりやすい状態で仕事を始める事が出来ます。
要は新卒で入った会社よりも転職して入った会社の方が「自分は何によって給料をもらっているのか」がクリアに分かりやすいのです。

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あなたは何によって必要とされているか

転職市場とはクールなもので、おおよそ年齢によってその人に人材として求められている物が決まってきます。その年齢ごとに必要な経験・能力が備わっていると判断されれば拾ってくれる会社は有るし、それが欠けると判断されるならば受ける会社のグレードを幾つか下げないと中々内定は出ないかもしれません。
諸説ありますが、私が転職市場について死に物狂いで調べていた物をまとめると、次の図のようになります。

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飽くまで私の考えている事なので、これが一概に正しいわけではありません。全く異なる事を主張する人も居ます。その中でも理屈として上澄みの部分を取り出すと次のようになります。

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ここに対して反論してくる人はあまりいないと思います。どんな識者の意見を聞いても、年齢が上がるにつれて必要になって行くスキル・センスはより緻密で抽象的広がりを持ったものになると言います。まあある意味当たり前です。ただ無為に年齢を重ねるだけでは人は成長したとは見做されないのです。
 
まずこの内容に自分が該当するのかを考える事から始めても良いと思いますが、注意すべきこととして概して日本人は自分の事を低く見てしまう傾向が強いという事は記憶に留めておく必要があります。私の場合にも転職活動を始めたばかりの頃は自分の事を盛大に卑下しまくり自虐しまくりで見ていたため冷静な判断ができる状態にはありませんでした。そこで私は友人たちに可能な限り相談しまくったり、転職エージェントを活用して担当者と対話を重ねる中で客観的視点から見た自分自身の姿というものを掘り下げる作業を行いました。
大学時代何をやっていて、大学院時代何をやっていて、社会人としては何をしているのか、それを掘り下げて行く事で「自分に何ができるのか」が分かってきます。同時に「自分に何ができないのか」も分かってきます。「できること」が判明してくると、今まで自分には行ける可能性など無いと思われていた大手企業へ転職するチャンスが出てきたりします。また「できないこと」が判明してくると、自分が思い描いていた理想の企業に行けそうにないといったような冷酷な現実も見えてきます。

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それら一つ一つを冷静に理解してゆく事で「自分が何によって必要とされるか」が見えてきます。それだけの掘り下げ期間を経てからが初めて転職活動です。それを軽視してしまうと転職活動は上手く行かないし、またどこかの企業から内定が出たとしても自分が何を求められているのかが見えなくなってバッドエンドになります。
 
今現在私は転職先の職場で「あなたのどの知識・経験が必要」とかなり明確に示されて仕事をしています。それが出来ているのは、転職活動初期に私の相談に乗ってくれた友人たちや、私に客観的視点を授けてくれた転職エージェントのお陰なのです。
(勿論仕事とはそれだけでは完結しないものですが、その話については次回にでも書こうかと思っています)
 

転職すると学歴の相対位置が変わる

自分が高学歴だと思う人は、転職の際に考えておかないといけない事です。(そう思わない人はこの部分は読まなくていいです)
当たり前の話ですが、東大生が腐るほど居る企業に東大院卒の看板をぶら下げて入ると二等市民みたいな取り扱いになります。しかし東大生が一人もいない企業に東大院卒の看板をぶら下げて入るとトップオブトップみたいな取り扱いになってしまいます。
自分の学歴が組織内においてどう取り扱われるか、自分の成長にとってどういう状態がより良いのかは、割とちゃんと考えておかないと後が苦しくなる事です。
 
私が最初に入った会社は東大どころか京大生も阪大生も殆ど存在しない組織だったため、トップオブトップみたいな取り扱いになってしまって非常に苦労しました。「東大生だから教えずとも何でも一人で勝手にできるようになるはず」とか「東大生だからどんな難しい仕事でも成果を出してくれるはず」とか、放任主義と成果へのプレッシャーという二律背反状態に立たされ、どうすればいいのか全く分からなくなった事も一度や二度ではありません。(念のため言っておくと私は東大卒ではなく東大院卒ですが、世間一般にはこの違いは理解してもらえません)
期待というものはありがたいものですが、同時に大変厄介なものです。人は勝手に誰かに期待して、裏切られたと思えば怒るものです。私に期待を掛けてくれて私の出した成果に喜んでくれた人も居ましたが、同時に私が何かミスする度に私に失望する人の数も増えて行きました。組織の中で敵も味方もどんどん増えて行って、気が付けば私は嵐の渦中に巻き込まれている訳です。これは正直困り果てました。こんな事が起きるとは思っていなかったのです。
 
従って私は転職するにあたって「京大出身者や阪大出身者が一定数居て、東大院卒が一人混じったぐらいでは動じない会社」というものを選ぼうという意識を持ちました。その方が変な扱いをされずに済むため、自分の仕事に集中しやすいと考えたためです。
私の考えた事は割と綺麗に当たりました。現在の職場は京大閥と阪大閥が手を取り合って仕事を進める環境にあり、そんな中に東大院卒の私が一人やってきたところで何ともなりません。私は中立的な評価の下、仕事が上手く行けばプラス評価されるし、ミスすればマイナス評価されます。変な色眼鏡を掛けて見られることなくニュートラルに取り扱われるため、期待されすぎる事もなければ失望されすぎる事も有りません。少なくともいきなり自分が人間関係のカオスに立たされてるなんて事は有りません。

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人によって考え方は変わる部分だと思います。バチバチに組織のトップとして期待されている方がいいという人も居るでしょうし、そこは私とは考え方の違う人が幾らでもいると思います。
私の場合にはとにかく精神的ノイズに弱いため、変な期待を掛けられるのも勝手に失望されるのも嫌だったのです。精神的に変な圧力を掛けずに純粋な目線で自分の仕事を見つめるという事が出来て初めて私は仕事のリアルというものを実感できたように思われます。
 

仕事の「リアリティ」

私の感じる「仕事へのリアリティ」について語って来ました。
お給料をもらう事、必要とされる事、精神的ノイズを排除する事、ここまで意識して初めて私は仕事のリアリティというものを理解できた気がしています。
 
全員がここまでやる必要があるとは考えていません。
もっと容易く自分の仕事のリアルに目覚める事ができる人はこの世に幾らでも居ますし、そういった人たちは転職なんてする必要は無いと思うのです。自分の現在の仕事、職場でもっともっと輝いていく道を探る事が先決です。
 
私は残念ながらそういった道を辿る事が出来なかったから、転職しました。
ある意味では感性の問題です。人は本質的には自分がリアルに感じられない仕事に留まっているべきではなく、リアリティを感じられる仕事へ移るしかないのです。それは仕事の内容がどうであるかというよりも、その人の感性に合致しているかどうかの問題です。給与とか待遇とか色々ありますけど、それらも全て含めて自分がその場に立つことにリアリティを得られるかが最も重要な事であると私は考えています。
 
→今回はこのあたり
ONE OK ROCK / Deeper Deeper を聞きながら書いています。
大体ワンオクが私の言いたい事全部言ってくれてる。
https://www.youtube.com/watch?v=tcBBNB5JTOQ
 
→次回は「君が転職しても君の世界は変わらない」をテーマに