垂直都市に降る雨

東大院卒が綴る思索の影_記事の内容は全て個人の意見です。

嘘つきのシステム:「自業自得の患者」論に寄せて

土曜の朝から腹が痛いです。クソの噴射が止まらないので、一発ひねり出しましょう。

長谷川豊さんという人物はよく存じ上げません。なんかアナウンサー的なサムシングをしているらしいですが知らんものは知りません。
それよりも「自業自得の患者」という彼の意見について、腹が痛くて動けないのでその間に書ける程度サクッと書きます。

 

社会システムを考える上で一つ重要な視点を最初に提案しておきます。
「人は嘘をつく生き物」です。
では、一体社会全体の何%が嘘をつく人間でしょうか?

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少し考えれば当たり前の話ですが、社会における正直者と嘘つきの割合はその当時の社会情勢によって変化します。例えば

  • 経済条件が悪化して貧困に苦しむ人が増えれば、生活保護費を何とかしてパクろうとする人だっているでしょう。
  • 教育が破綻して社会のモラルが低下すると嘘をつく事に抵抗のない人が増加するかもしれません。

というわけで、ある国家、ある民族における「嘘つきの割合」を正確に判断する事は殆ど無理です。統計調査とかで一時的な値は算出できるかもしれないけど、あらゆるファクターが影響してゆく中ですぐに数字も割合も変化してしまう事でしょう。

 

1. 性悪説によって象るシステム

とすると、最も無駄のないシステムとは「社会の構成員の内、ある一定数が嘘をついている」と常に仮定して作り上げるシステムとなります。つまり、性悪説に沿って構築するシステムこそ最も無駄のないシステムであるという事になります。

では今例えば、本気で性悪説に振り切って社会システムを考えてみましょう。

  • 生活保護は全てパクられるから廃止
  • 病気は全部自業自得!体調管理ができないのは患者の責任だから医療保険も廃止
  • 教育なんてしても誰も真面目に勉強なんてしないから学校も廃止
  • 従業員は一秒たりとて真面目に働かないから給料なんて出さない
  • 全国民が犯罪者になる危険性があるからプライバシーぶっ壊してでも監視する

さてここまで考えればわかる通り、性悪説に沿って構築されるシステムとはかなりキツイものです。長谷川豊氏の意見はここまで極論に振り切ってはいないにせよ、ベクトルとしてはこれに近いものがあります。

  • 人工透析患者なんて自業自得なんだから殺せ!

とは、どこまでが嘘なのか医師の側からすると判断がつけられないため、つまり全員平等に見殺しにする以外になくなります。確かに人工透析を受ける人は一人もいなくなりますが、腎臓病に一回掛かってしまったが最後、もう助かる望みはなくなりますので、それによって発生する社会的コストが医療費を上回って大変なクソ展開になります。

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こうなってしまうと最早医療どころか既存の社会システムの殆どが破綻します。万人が万人を信用しない状態に陥るため、例えば

  • 最初から全員刑務所にぶち込め
  • 相手の事なんて信用できないから結婚なんてしない
  • この建物だって欠陥住宅かもしれないから家に住まない
  • そもそも周りの人間全員信用できないから最初から全員殺せ

となります。そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、性悪説に沿って本気で行動するならば最終的には周囲の危険因子を全て破壊しつくして社会そのものを否定する以外に道がなくなってしまうのです。

 

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2. 性善説によって象るシステム
では逆のパターンに極端に振ってみましょう。現在の先進国では殆どの行政システムが性善説に沿って作られています。日本において問題が発生しているのは、日本のシステムが実はかなり強力に性善説に偏りすぎて構築されているからです。ではどういうものが性善説に沿って作られたシステムでしょうか。

  • 生活保護を求める者には全員に平等に全額支給
  • 医療保険を求める者には全員に平等に全額支給

まあここまでは常識の範囲内かもしれません。どうしてこういった福祉政策が存在しているかというと、セーフティーネットが無ければ新しい仕事や新しい価値創出に挑戦する者がいなくなり、社会が既存の枠組みの中で疲弊し続ける一方になるからです。福祉政策に莫大な額の予算がつぎ込まれているのは、そうすることによって国家というシステム全体の活力を高められるからなんですね。
ではここで敢えて非常に極端な性善説に沿って左寄りに話を振ってみましょう。

理想郷のような環境です。それでも性善説を前提としていますので、国民はこれだけの環境にありながらも仕事を毎日して高い生産性を出してくれるという事になっています。本当かよ?そんなわけねぇだろ!と思ったそこのあなた、その考えは正しい。

ナウル共和国、という島国をご存知でしょうか?

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経済左派の実験場としてよく取り上げられるのがナウル共和国です。小さな島国ですが、リン鉱石が産出したことでその収入によって医療・教育無料、労働は外国人労働者任せ、食料品は輸入品の缶詰やジャンクフードという驚異的な国でした。
勿論リン鉱石なんて言ったって大規模な火成鉱床があるわけでもありません。グアノ鉱床と呼ばれる鳥の糞が堆積したことで発生した小さな鉱石のたまり場に過ぎないのです。それを外国人に掘らせて売って、自分たちは行き届いた環境でぬくぬくボケーっとして過ごしていましたからさあ大変、今やナウル共和国リン鉱石の枯渇により国家破綻の危機に瀕していますが、働く気力を失った国民たちは未だに動きません。どうなることやら。

つまり、「恵まれた環境にあっても国民は毎日勤勉に働き続けてくれる」という極端な性善説に沿った仮定は、これも成立しません。

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3. 社会という名の複雑系
ここまで議論すればだれの目にも明らかだと思いますが、社会という複雑系においては完全な性悪説も完全な性善説も成立しないのです。長谷川豊氏の意見はかなり強力な性悪説に沿って組み立てられた言説であり、他者を信用しないことを前提とする社会ばかり見すぎているから妙に偏って聞こえてしまうわけですね。
さてそれでは社会が正常になるためにはどうすればいいのでしょうか。議論を重ねて行く事はもちろん大切で、長谷川豊氏の意見にも聞くべき点は非常に多いのです。日本社会は前述の性善説に異様なほど偏りすぎている部分があります。そしてその性善説に反するものを片っ端から非難し続けて否定しようとするのも日本社会の特徴の一つ。
彼の発言は乱暴ではありましたが、医療費、それからこの社会全体を包む「善きもののために」という風潮を再考する切っ掛けになってくれれば…と思います。なりそうにないけど。