垂直都市に降る雨

東大院卒が綴る思索の影_記事の内容は全て個人の意見です。

勉強の大切さ: 分裂した現実へ橋を掛けよう

それからGWは生活リズムを元に戻すための休息にしていました。
はい、ブログの更新はその内まとめてバババと更新しようと思います。三交替中に考えていたことは山ほどあって、書きたいことも山ほどあるからです。

 

はい…。
社会人として一年間を過ごしたわけです。中世の魔女狩り以上の狂気に支配されている世界でした。思った以上にクソです。

さて今回は、そんな中で四月ごろずっと考えていたことです。
私なりの新社会人へのメッセージとして。

 

 

Twitterを見ていると「会社がヤバかったら即辞めよう!」という言説が非常に目立ちます。

そう、その通りです。ヤバい会社にいる必要はなくて、辞めたいと思った瞬間が辞め時であります。辞めるべきなのです。

しかし概して人は会社を辞められません。転職者や退職者は社会全体で増加し続けているとはいえ、今現在目の前で会社を辞められるかというと辞められません。

 

実際の所意識高い系やネット事業家みたいな人にこういった話をすると「それは単に甘えてるだけだよ」みたいな感じで猛烈に嘲笑されます。何だか私が三交替の現場で話を聞いた人々の見ている現実と、意識高く歩いている人々では全く見ている現実が違うかのように思われます。現実が分裂しているのです。

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さて…。
社会人として意気揚々とデビューした時はみんな転職や転業にも比較的肯定的なんですよ。それが何年かするといつの間にかみんな全力で転職や転業を否定するようになります。
(※我が社の場合にはたった一年で文系は全員転職転業否定派、逆に理系は全員「今すぐ転職転業しないと未来はない」と考えるようになりました…それはそれで極端な例ですが)

何で転職や退職を否定するのだろう?ということには色々あると思いますが、私自身が一年間通して色々な人から話を聞いたことを踏まえると、おおよそ以下四つの理由に絞られそうな気がしています。

 1. 経歴に傷がつくのを恐れている。
 2. 変化を恐れている。
 3. 自分の家族など、守るべきものがある。
 4. 自分には転職or退職して食っていく能力はないと思い込んでいる。

こういった「限界」を持つから人は転職できないし、仕事を辞められないのではないかと考えます。まだ五月になったばかりの段階では新社会人のみんなには分からないと思いますけども、社会人として何年か働けばこういった限界が誰の前にも立ち塞がってしまうのです。
私自身としては、こういった限界を持つ人々を嘲笑しようという気にはなれません。こういった限界は私には無い(と自分では思っている)のですが、一方で日本のモノづくりや技術が完全崩壊するのをギリギリの瀬戸際で守っているのはこういった限界の中で戦っている人々だからです。

 

そこで考えます。どうすればこういった限界を乗り越えてゆけるのか?
私自身はどうしてこういった限界をあまり意識せずにいつでも転職する気構えでいるのか?

実際色々な答えがありますので、どれが正解とかいう話ではないんです。しかし例えば新社会人に贈るべきメッセージとして考えるならば、私の場合次のようになります。
勉強し続けること。
知識拡張をストップさせてはならない。
…これは大学ないし大学院までで勉強する習慣がある程度ちゃんと身についている人だったらクソ簡単なことですが、日本の場合には「勉強したくないから就職した」みたいな人間が非常に多いと感じます。かくいう私だって東大で勉強し続けることに限界を覚えたから就職したクチです、あまり他人の事はとやかく言えないのです。

 

恥ずかしい話ながら、今になって勉強の大切さを物凄く痛感しています。
例えば、「これからの時代、私たちの生活を大幅に変化させうる物事」を考えたとき、私だったら今5分ぐらい考えて以下7個ぐらいは思いつきます。

  • 高度プロフェッショナル制度
    →理系の専門職は残業代出なくなるのかな?
  • ブロックチェーン
    →自律分散型システムは今後何に波及していくだろう?
  • 仮想通貨
    →暗号化された発行者なき通貨、私も少しぐらい投資して稼げないかしら?
  • 再生医療
    →将来私が重大な病気になったとき再生医療による治療を受けられるのかな?
  • 自動運転車
    →自分で車を運転しなくてもいい時代が本当に日本にも来るのかな?
  • 人工知能ディープラーニング
    →工場での三交替のような仕事をAIが代替してくれるのはいつ頃だろう?
  • 3Dプリンター(プリンタブルなモノづくり)
    →今まで手作業で苦労して作っていたものの大半が印刷で作れちゃうのでは?

でも大半の人に聞くと次のような答えが返ってきます。

こういう風に思っていたら、最終的には「社会は何も変わんねー」というクソみたいな結論で大体すべての議論が終わります。社会が何も変化しないという前提に立てば、転職することは確かにリスクオンすぎます。ましてや退職して仮想通貨で食っていこうなんてのは狂気の沙汰でしょう。

と、つらつらと考えてゆくと実は転職転業を肯定するか否定するかとは、「私たちの生活の変化を肯定するか否定するか」や「生活の変化に自分が関係していると思うか否か」に密接に結びついているのではないかという考えに至ります(勿論例外もあります)。

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上図のように、テクノロジーによる世界の変化という考え方を冷笑して受け入れようとしない「冷笑おじさん」、逆にそれを盲信するあまり前後不覚に陥る「未来おじさん」の二つにくっきり分裂しすぎな気がしています。特に現代はごく少数の未来おじさんたちが喧伝する理想的でバラ色な未来世界のビジョンがあまりに胡散臭すぎて、冷笑おじさんたちは更に冷笑の色合いを強めるという、何とも悲しすぎる事態に陥っていると私は考えます。
実際の所ここには正解はないと思います。どちらが正しいのかという議論は正直なところナンセンスで、どちらも間違いなのです。

だから、勉強しませんか!
分裂した立場、分裂した意見、分裂した現実に橋を架けるためには、勉強するしかありません。

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「よくわからないから、勉強する」
それでいいじゃないですか。私には理解しにくいことなのですが、みんな「わからない」という言葉を極度に恐れていますよね。まるで「わからない」という事を言った瞬間に自分の社会人としての価値が減額されてしまうかのように「わからない」という事を恐れているように思います。
でも、わからないことを認められなくなってしまったら勉強はできなくなります。だから社会人になったこのタイミングで、もう一度「わからないから勉強してみよう」というスタート地点に戻ってみてはどうでしょうか。あなたが「わからない」と言ったことに対して難癖を付けてくるようなのは頭の固すぎる老害だけです(実際我が社にもそういう老害はたくさんいるけど)

繰り返し言いますが、私にとっては冷笑する事もドヤ顔で未来を語る事も、何だかとても居心地の悪い態度に思えます。冷笑して未来のことを考えないのは明らかにおかしいし、未来のことばかり考えて現実を見据えないのも頭が悪い。するとやはり、勉強することでしか分裂した現実に橋は架けられないのです。

 

※※※※

いやはや。三交替勤務という苦しさの中で色んな人を観察して直感的に思った事です。
「冷笑して諦めるのも、したり顔で未来を語るのも、どっちもバカばっか」

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バカばっか、です。もう少し賢明な態度というものがあるんではないかと考え続けていますが、今現在出せている答えは「勉強しろ」の一択です。この思いつきが何か新しい思想として拓けていく事を期待しましょう。
三交替している間は体力を消耗しすぎてこういう考えを言語化していく事がまず無理でした。ここから少しずつ言語に引き出せて行ったら面白いんじゃないかなと考えてはいます(実行するかは知らん)。