垂直都市に降る雨

東大院卒が綴る思索の影_記事の内容は全て個人の意見です。

鮮やかで奇妙、楽しいクラシック・ピアノ

枕を少し低くしてアイマスクを付けたら14時間も眠り込んでしまって、憑き物が落ちたかのようにスッキリしてサークル向け資料を10時間ぐらい作り込んで完成して今に至ります。躁鬱症か単に睡眠環境が悪すぎるだけか。

 

という訳で表題の通り音楽紹介を始めます。
私のブックマークフォルダにはもう音楽だけで讃美歌からVOCALOIDまで数えきれない程色んな音楽をぶち込んであるので、順番にあらゆるジャンルを紹介していこうと思います。
最初はクラシック・ピアノ

クラシックと聞くとそれだけで身構えてしまう方も多いかと思います。実際クラシック音楽をある程度聞くようになると他人に自慢したくなります。スノビッシュな話をしたいという欲求は誰にでもあって、クラシック音楽はその格好の対象になりやすいという事ですね。
でもクラシック音楽とかを他人に自慢するようになると、その内もっと音楽知識が凄い人が現れて「お前の知識はその程度か」と鼻で笑われます。実に嫌な感じです。

そしたら、もう自慢すんのやめましょう!

今回紹介するのは、

「聞いても自慢できない

マイナークラシック・ピアノ」

 

世間には有名どころのクラシック音楽を聞ける限り聞き漁って、それで満足して「俺はクラシック聞くよ(ドヤ顔)」なんて言う奴ばかりです。いわゆるスノビズムですね!
そんな奴がニヤニヤしながら「クラシックは高尚な音楽だ(ドヤァ」なんて言うのに耳を傾けてはなりません。

有名どころを無理して聞く必要は無い!

自分の感性に響いた作品こそが真に聞くべき作品なのです!

というわけでブチかましましょう。最初に紹介するのは

ニコライ・ギルシェヴィチ・カプースチンNikolai Girshevich KapustinНиколай Гиршевич Капустин)より


Kapustin Plays Kapustin - Piano Sonata No 1, Op 39, Sonata-Fantasy - YouTube

ピアノソナタ第一番(Piano Sonata No 1, Op 39, Sonata-Fantasy)

おいおい初っ端からクラシックじゃねーよと仰る方がいそうですが無視します!

ニコライ・カプースチンウクライナの作曲家で、今でも存命のおじいちゃんです。

その作風は一度聞けば忘れられない彩の豊かさ!
まるで音がピアノの形をとって自由自在に踊っているかのような変幻自在で技巧に満ち満ちた世界観、それでいて全く遊び心を失わない軽やかさ!
「ジャズとクラシックの融合」と称される彼の作品は、いつも楽しげで、堅苦しい音楽の世界を抜け出した鮮やかな光に満ちています。これぞピアノの神髄と言うような超絶技巧に満ちた作品群は独特のリズム感によって作曲されており、並大抵のピアニストでは弾きこなすのにも苦労するという程の難易度を誇ります。聞いた話では一度このリズム感が体に染み込んでしまうと他の曲を弾けなくなってしまうとか。ここに紹介している動画は作曲者であるカプースチン本人が弾きこなしているんだそうです。スーパーおじいちゃん・・・

個人的には最後の第四楽章が一番好きです。カッコよさとスピード感を失わずに最後まで煌くメロディを演奏しきるのは圧巻。

 

同じくカプースチンから、今度は全盲の日本人演奏家辻井伸行さんによる

8つの演奏会用練習曲より「夢」


Tsujii Nobuyuki Kapustin/"8 Concert Etudes for Piano Op.40-2" 辻井伸行 - YouTube

繊細で優しい弾き方から始まるのかと思えば、時に大胆に、そしてまた再び繊細で優しいメロディへ、辻井さんの持ち味である作曲者の意思を読み取ったかのような見事な演奏です。
先ほどカプースチンが自演した演奏とは雰囲気がまるで違うという事まで分かっていただけたら、私としてはもう最高にうれしいです。カプースチン本人の演奏では正確で発色豊かな色鮮やかさと元気さに満ちた感じがありましたが、辻井さんが演奏するとどこか優しげな表情を持ちますね。

テレビ局スタッフの拍手がクソうるさくて非常に無粋ですが、そこはそれ、テレビ局のアホには音楽なんてわかんないのです。

 

辻井さん繋がりでいきましょう。

フランツ・リスト愛の夢


愛の夢 辻井伸行 Nobuyuki Tsuji - YouTube

優しく繊細、華麗で緩やかな広がりを持った演奏というのが彼の奏者としての特性なのでしょうね。元々優しい楽曲なのですけど、辻井さんが弾くと曲の優しさ、繊細さ、そして広がりが強調されるから素敵です。

 

さてそろそろブチかましましょう。
次は浪人時代から今に至るまで、私が憂鬱になった時に光を投げ込んでくれた作品です。


Bach, Busoni - Chaconne in D minor BWV 1004 - Helene Grimaud (piano) - YouTube

モーツァルトシャコンヌ(プゾーニによるピアノ編曲版)

エレーヌ・グリモー演奏

この楽曲は色んな演奏家が色々な演奏を提供していますが、ダメです。
エレーヌ・グリモーのこの演奏でなければダメなんです!
最初聞いた時は「そうでもないな」と思います。しかし聞けば聞くほど恐ろしいほどに光が差してきて、暗くて冷たい世界に哀しみに満ちた澄んだ光が差してきます。
ああ、この光の冷たさ、哀しさ、美しさよ!

 

演奏者のエレーヌ・グリモーは中々難儀な経歴の天才ピアニストです。

びっくりするほど美人、ですね。その美人すぎる容姿のせいでやたら色々苦労していたようです。幼いころから年がら年中反抗期の引きこもり少女、暗くてナイーブな性格と、おおよそその美しい容姿には似つかない酷い狂気に満ち満ちた女性だったようです。その彼女を変えたのがピアノとの出会い、そして狼との出会いでした。ピアニストでありながら同時に動物生態学の専門家であり、野生の狼の保護活動に従事する彼女の姿はまさに「狼姫」とでも言いましょうか、丸っきりファンタジー小説の中にしか現れないようなロマンティックで独創的な人生を歩んでいる人物なのです。

その彼女だからこういう演奏ができるのでしょう。大胆に弾きこなしていながら、どこか悲しげで、優しい光に満ちているのにどこか鬱蒼としている。蒼い。蒼くて暗い。それでいて美しい。まさに独特の演奏です。他の演奏家が弾くと何かもっと「明るい普通のクラシック」になってしまうこの楽曲ですが、彼女が弾く事で初めてその本当の姿を見せるのです。演奏者が楽曲を選ぶように、楽曲が演奏者を選ぶこともあるのですね。

 

次もまた「憂鬱な時用の音楽」です。
こっちの方がもっとキチガイ度が高いですね。


PETER RÖSEL plays Prokofieff's Piano Concerto no. 2 (1/3) - YouTube

セルゲイ・プロコヴィエフピアノ協奏曲第2番第1楽章
演奏はペーター・レーゼル

思い浮かべてください。小さな小さな舟が、荒波うねる嵐の大海原で翻弄されています。寄せては返す大波に打たれ、揉まれ、今にも転覆してしまいそうです。雨も嵐もおさまる気配は無く、真っ暗闇の大海原に閉じ込められています。
実に憂鬱な暗い雰囲気に終始する第一主題。ピアノソナタのように美しく始まったかと思えば、カデンツァの豊かな音色が煽る煽る、この深い絶望感と嘆き。
もうダメだ!もう死ぬしかない!どうしようもない絶望感がピアノの音色に乗って響く響く!
そして始まる第二主題。ピアノが煽る煽る。
どうしようもないほどの絶望感!
もうダメだ!天国が見えるよ!終わりが近い!

唐突に鳴るラッパの音!終わった!もう人生終わったよコレ!

そして再び静かな領域に戻る。もう終わってしまった・・・もう何も残っていない・・・。そうして静かに消え去る音色。

いや初めて聞いたのはこれまた浪人時代だったのですが、浪人時代の絶望感と暗くて不透明な道のりが何とも曲にピッタリ来て、自分でビックリするぐらい泣いてしまいました。今でも絶望感が酷くなった時にこの曲を聞きます。一周回って静かになります。

プロコヴィエフはロシアの作曲家です。ロシア革命時代の動乱の中を音楽家としての腕一本で生きてきた苦労の人で、この曲は拳銃自殺した友人に捧げた曲だったとかいう話もあります。いや、このどうしようもなく重苦しい曲調を聞いていると、それも頷ける気がしますね。

 

鬱蒼としてきたので、これで最後にしましょうか。
最後は今まで聞いてきた中で「一番私らしい曲」。


Ravel, Alborada del gracioso — Sergey Kuznetsov - YouTube

モーリス・ラヴェル「鏡」より「道化師の朝の歌」

演奏はセルゲイ・クズネツォフ

またこの人も変な演奏をする人ですけど、結構鮮やかな演奏をしてくれるので好きです。非常に良い。

朝です。日の出から数十分程度しか経っていません。君は道化師、誰もいない広場で今日も朝から芸の稽古に励むのです。独りしかいないその場所で、君は今日も踊ります。喜んでくれる人たちのために、褒めてくれる人たちのために、今日も君は独りで軽やかに、孤独を感じさせないステップで踊るのです。
その音色はまるで迷路のようで、ともすれば孤独と淋しさで潰れてしまいそうな小さな音です。でも虚勢を張るかのように大きな音を鳴らすのです。空元気だっていいのです。今日も歩き続け、跳び続け、時に涙を光らせながら孤独に立ち止まるのです。

さあ、今日も朝がやってきた!

 

如何でしたか?
こんな拙い(キチガイじみた)紹介ですが、ここまで読んでくれてありがとうございます。
これを見た方が一人でも「クラシックピアノ面白そうじゃん」と思ってくれれば幸いです。クラシック音楽も本来は「教養のために聞く」ものではなくて、「美しいから聞く」という感覚で聞いてくれていいのです。他のジャンルと何も変わりません。

そこに必要なのは、知識でも教養でもありません。

たた美しいものに感動する心があれば、それで十分なのです。