垂直都市に降る雨

東大院卒が綴る思索の影_記事の内容は全て個人の意見です。

転職リアリズム1. 現実感のありか

転職して5ヶ月が経過しました。そろそろ良いでしょう。
 
転職したら「それによって変わった事」をブログに書きます、と色んな人に約束しました。
結論から言えば私の場合最も顕著に変わったのは「現実感のありか」でした。
 
ここから何稿かに分けて「転職」によって何が変わったのか、仕事における現実感とは何なのかについて少し掘り下げて考えてみたいと思います。
転職しようかどうか迷っている人に向けて、更に迷わせるために書く記事です。
 

意識は低く広く、流れるように:最終夜

私が何を考えて物事を見ているのかについて。2018年版の最後の短文です。

 

私は最初から最後まで意識高い系が嫌いですが、と言いつつも色々な人から「いや、お前の意識は死ぬほど高い」とよく言われます。自分が嫌いな物に自分がなっているというのは実際物凄く不愉快な事です。
実際私は転落人生の果てに何を見出したのかという事を最終的な「想いとして短く書き綴っておくべきであろうと考えました。本当に意識が高い人と私の考え方にはどういう共通点があり、どういう違いがあるのでしょうか?

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意識は低く広く、流れるように:第三夜

私が何を考えて物事を見ているのかについて。2018年版続きです。

色んな事に同時並列で取り組んでいると「中途半端」になるのは実際問題として事実です。ですが、中途半端であることは実は何か一つの分野の事しか知らない事よりも遥かに強い事であると私は信じています。

今回はそんな「中途半端に生きること」の真髄についてです。

※もういい加減にしてくれ私の人生っていう感じで、ストレス性の逆流性食道炎の酷い奴という診断を下されました。ブラック労働環境に投げ込まれて身体も病むとはこれ如何に。このままでは文章を書くどころか生きる事すらままならないので、少し前に「頑張ってブログ投稿します!」とか抜かしておいてアレなんですけど、ブログ投稿もやっぱり無理のない範囲になると思います。

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意識は低く広く、流れるように:第二夜

私が何を考えて物事を見ているのかについて。2018年版続きです。

色々な物に興味を持ち続けるというのは、簡単なことにみえてとても難しい事です。それはこの日本社会においては「一つの物に取り組む」という事が社会的に推奨され、「複数の物事にたくさん取り組んでみる」という事は「中途半端」とされるからです。
しかしそれができなければ、その人の視野は際限なく狭まって行って、やがては潰しが効かなくなって世界の変化に対応できなくなってゆく事は前夜に述べました。

ここではそんな「視野を広げることの大切さ」を述べたいと思います。

※文章は全部最後まで出来上がってるので、後はイラストや図を追加するだけで投稿できるんですけど、ちょっと今週はまたパワハラ環境でシバかれすぎて急性ストレス障害みたいな症状をずっと発症していたので全面的に遅れました。パワハラブラック大地獄。

 

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意識は低く広く、流れるように:第一夜

私が何を考えて物事を見ているのかについて。2018年版です。

…よく「どうしてそんな風に考える」と色んな人に言われます。ある人は驚きと称賛の入り交じった目でそう言いますが、別のある人は侮蔑の目を向けてそう言います。まあ当然っちゃ当然なんですが、私の考え方は普通の人から見ると明らかに異常者のそれに見えるようで、ここは一つまた私の基本思想からちゃんと説明したほうが良いんじゃないかと思います。

定期的に私の基本思想的な記事は書いてるんですが、書いてから数年も経つとまた別の思想に大化けするので、今回はまた2018年版として書いておこうと思います。
書いていたら猛然長くなったので複数パートに分割します。かなり色々なことを考えて書いていますが、その一方で一見矛盾する内容をかなり多く含んでいるので、分かりにくくなってしまった部分も多いです。

第一には「意識を低く持つことの大切さ」です。

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