垂直都市に降る雨

東大院卒が綴る思索の影_記事の内容は全て個人の意見です。

書簡集: 具体的限界について

メールに色々な考えを書き連ねては色んな人に送って回っていました。

※公開不可能な所は文言を差し替えたり削ったりしています。
※内容に間違いがあったとしても知ったこっちゃありません。

 

 

 

「年齢と才能」
例えば伊能忠敬が地図づくりを始めたのは56歳、カップヌードルの発明者安藤百福カップヌードルを発明してヒットさせたのは49歳、レイ・クロックがマクドナルドの商権を買い取り世界へ飛躍したのは57歳、ケンタッキーのカーネル・サンダースが現在のフライドチキンビジネスを完成させて成功したのは65歳であったと言います。
例えばかつての人類世界では、「年齢を重ねることで得られる経験によって成功を得る」という考え方が一般的であったので、別に若い内は貧乏だろうが無学だろうが関係ありませんでした。何かに一生懸命取り組んでさえいれば良かった。
しかし今はもう残念ながらそんな古き良き産業社会の伝統は潰えました。無能であることは罪であり、舞台を経済に変えて闘争が始まった世界。そこでは、若いか年寄りかは関係なしに、とにかく己の持てる才能と努力の限りを尽くして戦うことが求められます。それは自分のためであり、社会のためであり、誰かのためです。
その中で金を稼ぎ、金を使い、…つまり「金を回す」という事が現代資本主義における経済的主体の役割であります。その為ならば若者も老人も男も女も関係なく金を稼ぎ金を使わなければならない。
生きることはこうして地獄となりました。若者だからって無学で有ることは許されず、無気力であるものにはもはや生存権すら認められません。年老いてから成功すれば良かった時代は、終わってしまいました。
神戸でラーメンを食っています。隣の席に座った中学生ぐらいの女の子達の集団が、流暢な英語でガールズトークに勤しんでいます。女の子達の世界すらこれです。
もはや、若いからといって猶予を与えられる時代は終わってしまったのです。

 

「生活のセンスと普通の価値観」
例えば誰しも毎日朝起きたら歯を磨き顔を洗いシャワーを浴びて米を炊き朝食を作り一汁三菜ぐらい食ってから出勤したり登校したりするわけですよ。で帰ってきたらシャワーを浴びて米を炊き肉を焼いてまた一汁三菜食って洗濯機を回して歯を磨いてちょっと家の隅っこを掃除でもしてその日を終える訳です。
私にはそういうことができません。皆がそういう「生活のセンス」みたいなものを磨いている間に私は何をしていたかというと、本を読み漁り、ゲームしてアメリカ人と格闘してました。だから自ずから私の生活は破綻しがちで、また既に部屋はゴミ屋敷と化しつつあります。
思うに「当たり前の事をやるのは嫌だ」という思想とか、凡そ日本社会に相容れない狂気じみた考え方とは、そういった凡そ生活破綻者の生き方をこれまで見事に貫いてしまったが故の長所であり悪癖であり弱点なのです。生活能力が伴わなければそもそも家事に力を割こうとしないため、考えることばかりに時間を割こうとする。一つの事ができなければ別のことで補おうとするという、人間の脳の特性を示唆するような話であります。
ゆえに、私は「普通の人が簡単に習得する事」の習得が著しく遅い代わりに、「普通の人が普通習得しえない能力」みたいなものだけには恵まれています。幼い頃から絶対音感で音を聴き、何事も記録記述記憶してしまう癖もそうです。その一方で極端な被害妄想に強迫的な神経質、直ぐ折れるメンタルなど、凡そ普通の人にはない弱点がやたらたくさんあります。
羽川くんや鬼灯様のような天才たちの立っている世界と、その他の立っている凡人の世界との界面にして境界線上を、私はどっち付かずでずっと歩いているような気がします。その結果として、私は天才たちの持つ異能異才には恵まれず、さりとて凡人らしい確固たる生活能力も持てなかった。一番中途半端で困るものです。

 

「熔解する衰退社会」
例えば一週間ぐらい前に、経団連の榊原会長(東レ出身)が日立の中西さんに会長職を引き継ぐ事で経団連がネット上では話題になっていました。
恐ろしい事に経団連は転職経験のある人の一人も居ないという同質化文化の典型みたいな組織です。つまり日本においては、転職を一回経験した時点で「会社」というフレームワークの中で身を立て偉くなってゆく事は諦めなければならないという事になります。
明らかにおかしい話です。そうして今に至るまでメチャクチャな人事制度が罷り通り、有能な理系技術者ほどSAMSUNGに流出したりアメリカに流出してノーベル賞を取ったりするわけです。国内に残るのは無能のみ、という困った事態が成立する以上、実は経団連というのも無能が成り上がって無能同士で訳の分からない話をし続けるだけの空間であると言えるわけです。
そういうことをつらつらと考えれば、私自身としても転職するよりも転業してエセ投資家を目指す方がまだマシな道ではないか、と思います。転職するならば海外に転職するぐらいでなければ、事実上わりに合わない事態に陥る公算が高い。

もはや毎日転職したい転業したいと考え続けていますが、何が正しくて何が間違いなのかも全く分かりません。
投資家なんて虚業だと言うのは事実であり、前回のメールで語った通り「リアルではない」職業です。しかし、それでは今現在この日本において、「リアルなもの」が生き残る余地が何処に有るでしょうかね?文科省の発行してる科学技術白書も2018年版では「先進国中唯一日本だけが急激に科学技術力を喪失している」と遂に認めました。
私自身もはやただの老人(外見年齢70歳なのに実は実年齢40歳らしい)に怒られるばかりに時間を潰す奴隷に堕し、知的作業なんてものは1日に1分もやってない。残念ながらもうこの日本ではリアルなものが衰退してゆく流れを止められないし、私自身の中に有った筈のリアルも熔けて消滅しつつあります。

終わってゆく国、終わってゆく世界の中で、それでもリアルなもの作りに執着する必要は無いのではないか、そういう疑念が毎日拭えません。

 

「研究職の処遇」
研究職の処遇は長らく日本の経済界が頭を悩ませてきた問題で、結局大半の企業で研究職をボロ雑巾のようにしか処遇できなかったため、現在でも最も優秀な研究員は海外に自動的に流出して行きます。日亜化学から流出してノーベル賞を取られた中村修二先生なんかはその好例です。
だから各社色々な取り組みをやっています。研究員に大きな裁量を認めることで彼らの働きに報いるとか、成果を出した者に膨大なボーナスを与えるとか、取った特許の利益の一部を研究員に与えるとか、残業時間と成果の対比で効率を測定するとか、色々な方法があって各社苦労しているところですが、我が社では何にもしていません。
文系営業と完全に横並びの給料、成果が出ても何も変わらん世界。それで営業は残業代ゼロという恐ろしい規定が存在しているため終業時刻になったら本当に即時帰宅するけど、研究については仕事の性質から言ってもそうは行かない。
大体にして、人事部が破滅してる会社には研究能力が育たないのです。それを理解している東レなんかは人事制度にも力を入れているわけです。

 

「リアルか否か」
リアルかバーチャルか、なんて議論は今の流行りですけども、私も一つ悩んでいることがあります。少し長い文章ですが、私の考えている事をちょっと一緒に考えて貰えたらと思います。

私が高校時代から文系に行けとあれだけ言われておきながらどうしても文系に行きたくなかったのは「リアルではないため」です。例えば小さい頃から技術者である親父の背中を見ていた私は、それこそ「リアルなもの」を専門にしていくべきだという考え方に深く根を下ろしていましたし、未だにその考え方は根強いです。だから一番最初は機械工学を志しました(その後物理センスが無さすぎて化学に転向しました)。
でも、元々が思考を重視するばかりで、実は何かを作る事に向いてないのは高校時代から何となく自覚してはいました。だからこそ悩んでいます。化学を習って生物学を独学し、その2つを合わせて医工学なんて高等分野に勝手に進んでおきながら、結局全てが爆死して今は老人に虐められながらモノを作るだけの所まで転落したのは、結局私自身に実は「リアルなもの」が向いてない事の証明に他なりません。手を動かして何かを作るのに向いてない。

例えば今勉強中の経済学も投資も「リアルではないもの」です。プログラミングの知識も欲しいけど、言うてプログラミングも「リアルではないもの」です。
要はリアリティが無いんです。
しかしながら実際私自身がリアリティに満ち溢れた世界に向いているかと言われると、明らかに向いてないです。大学で研究してても他の東大生たちには努力でも成果でも追い付けませんでした。その癖してその企業の製品哲学とかには他の東大生たちを差し置いてメチャメチャ口を出す。だから某大企業の人事担当者から「理系東大生には本来居ないタイプの才能」とか言われちゃうんです。

はっきり言って今現在モノを作ってる謎の作業がリアルであるかと言われると、リアルとは言い難い。それでも、投資を生業にして飯を食ってくよりかは遥かにリアルでしょうね。だから悩みます。
私は今再び、高校時代に理系の道を選ぶ前の状態へ戻ろうとしています。高校二年生から足掛け11年間も理系として生きて、今再び自分が元々才能を持っていた世界である「リアルではないもの」へ戻ろうとしているのです。リアリティを自ら捨てるという判断が、果たして本当に正しいのか…ずっと考えて、悩んでいます。

因みに東大でも某分野の世界的権威の一人が似たような事を言っていました。「抽象と具象のどちらを自分の仕事にするか悩んだので、最終的には両方が等しく配分されている研究者を選んだ」だそうです。
私の場合には、具象の世界を十年以上も歩いて今再び抽象の世界へ戻ろうとしているのです。アホの極みかな。